朝の電車は愛が溢れていた
日曜日、仕事で白金台へ行く電車は、家族ずれが多かった。近くの赤ちゃん連れの若い夫婦に年配のおばさんが語りかけ、赤ちゃんを一生懸命にこやかにあやしていた。きっとご自分にも似たようなお孫さんがいるのだろう。明るい笑い声が心地よく響いていた。それからほどなく、別のシートでは、子供連れのお母さんに、若い女性がさっと席を立ち、その子供に席をゆずった。やっと座った席だったのににこやかに席をたった若い女性、子ずれのお母さんは、その子供にちゃんとお姉さんにありがとうとお礼を言いなさいと教えていて、子供もちゃんとありがとうと言っている。どれも当たり前のような何気ない風景なのに、ギスギスしたニュースが多い昨今、そこにはほのぼのとした愛が満ちていた。
息子が赤ちゃんだった頃、私も電車の中で、どんなにあやして泣き止まない息子に途方にくれたことがあったが、その時近くにいた3人連れの若いサラリーマン風の男性の一人が、息子を見ておかしな顔をしてあやし始めたら、息子がぴたりと泣き止んで笑い顔になって、救われたことがあった。今でも親が必死になってやっても出来ないことを、いとも簡単にやってくれたあの若い男性をふと思い出すことがある。通勤電車と違って、今日は日曜日。電車の中の空気も違ったのか、そこには愛と優しさが満ちていて、明るい光に包まれていた。いつも皆がお互いを思いやる優しさに溢れていたら、どんなに幸せなことだろう。せめて自分自身いつも愛を忘れない人間でいたいと改めて思ったすがすがし朝だった。
息子が赤ちゃんだった頃、私も電車の中で、どんなにあやして泣き止まない息子に途方にくれたことがあったが、その時近くにいた3人連れの若いサラリーマン風の男性の一人が、息子を見ておかしな顔をしてあやし始めたら、息子がぴたりと泣き止んで笑い顔になって、救われたことがあった。今でも親が必死になってやっても出来ないことを、いとも簡単にやってくれたあの若い男性をふと思い出すことがある。通勤電車と違って、今日は日曜日。電車の中の空気も違ったのか、そこには愛と優しさが満ちていて、明るい光に包まれていた。いつも皆がお互いを思いやる優しさに溢れていたら、どんなに幸せなことだろう。せめて自分自身いつも愛を忘れない人間でいたいと改めて思ったすがすがし朝だった。
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